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税理士の休日

厄払い?〜百草園・聖蹟桜ケ丘周辺編の神社めぐり〜

2013.01.08

佐藤 浩崇

2012年の年末は、災難だらけ・・・。

まず、止め慣れているはずの自宅の駐車場で、車をぶつける・・・。
医者嫌いもあり、ここ何年も歯医者を敬遠していた結果、急に歯が痛くなり、仕方なく通院することに・・・。
年末のバタバタしている時期に、携帯電話が充電不能で、使用できず・・・。
おまけに、パソコンもクラッシュ・・・。幸いにもバックアップをとっていたおかげで、最悪の事態は防げたものの、災難は治まる気配がなく・・・。
 
「この悪い流れを断ち切らねばならぬ!それには・・・」と案じていたところ、新年は神社めぐりをしよう!と思いついてしまった。
なんとなく、グーグルマップを見ていたところ、地元周辺に神社が多いこと多いことに気が付いたのだ。

石明神社(日野市石田)

左の写真は、石明神社(日野市石田)。
大晦日に訪れたので、これからお正月の準備といったところでした。日野税務署からほど近い浅川沿いのこじんまりした神社です。いつもここを通って日野税務署に行っているのに、こんなところに神社があるなんて、気付きもしませんでした。

2つめは、八幡大神社(日野市万願寺)。

これも日野税務署そばの20号バイパス沿いの消防署の裏にあります。日野市観光協会のサイトによると、創建年代はよく判っていないようですが、伝わるところによると、暦応2年(1339)、武蔵七党の西党の流れをくむ田村駄二郎知実がこの地に住み、男山八幡宮を勧請して社穀を建立、隣接する田村山安養寺がその別当となったといわれているそうです。
鳥居の横でピースをしているのは、筆者。

3つめは、落川神明神社(日野市落川)。

百草園駅の新宿よりの踏切そばの神社です。子どものころから一番なじみのある神社で、神輿を担いだり、境内でセミ取りをした記憶のある神社です。初日の出を府中四谷橋で拝んだ後、行ってみましたが、数人の氏子さんと思しき方がお正月の準備をしていました。

4つ目は、ご存じ小野神社(多摩市一ノ宮)。

ここも子供の時からなじみのある神社です。日野市民でありながら、多摩市の児童館に通い、そのそばにあった小野神社は子供にとって、うすぐらく気味の悪い存在でした。
しかし、歴史は古く、小野神社の起こりは旧く八世紀中頃とも言われ、中世には武蔵国衙に近在する筆頭の神社、武蔵一宮であったそうです。
武蔵一宮小野神社については現存する史料が極めて乏しい中で、昭和四十九年にこの随身椅像に墨書銘があることが発見されたと記されていました。

5つ目は、春日神社(多摩市連光寺)。

川崎街道の「向ノ岡」交差点から「行幸橋」に抜ける道沿いにある神社で、通り沿いの階段を登った先に神社があり、車で何度もとおっているところにもかかわらず、その存在すら知りませんでした。こじんまりとした神社でありながら、やはりその歴史は古く、その創建は、鎌倉時代までさかのぼるようです。
鳥居の前にいるのは、うちの長男(小4)

6つ目は、熊野神社(多摩市関戸)。

多摩市役所のそばで、これまた、その存在は知っていましたし、車では何度となく通っているのに行ったことはありませんでした。
熊野神社は霞ノ関と呼ばれた中世の関所の址と伝えられています。北の木戸、南の木戸がそれぞれ構えられていたと伝えられています。
鎌倉時代の建暦 3年(1213)に設けられたそうです。
鳥居の後ろには関所の柵列の址が数本残されています。

7つ目は、関戸九頭龍神社(多摩市関戸四丁目)。

聖蹟桜ヶ丘オーパの裏通りにこじんまりした神社がありました。これまで廻った神社の中で、一番小さな神社です。
賽銭箱もなく、お賽銭は社の前に、十円玉から五百円玉まで無造作に置かれていました。

8つ目は、百草大宮神社(日野市落川)。

百草園駅の南側、徒歩3分のところにあり、川崎街道から見える鳥居から急な階段を登った丘陵の中腹にあります。
なんとも薄気味悪い神社で、夜暗くなってから参拝したこともあり、社殿を照らす薄明りが気味悪さを引き立てていました・・・。
しかし、寛文10年(1670)ころは、三沢の大宮耕地にという場所鎮座していて、文久2年(1862)に現在地へ移されたといわれている伝統ある神社のようです。

 

他にも回ることはできませんでしたが、高幡不動駅北側に若宮愛宕神社(日野市高幡)、多摩動物公園駅北側に秋葉大権現神明神社(日野市程久保)、山神社(多摩市桜ケ丘)、十二神社(多摩市和田)などがあります。
 
改めて、この地に伝統のある神社が多く存在することを発見し、古くから豊かな土壌と自然に恵まれた土地であったことを再認識しました。
田畑をするにも狩猟をするにも恵まれた豊かな土地だったのでしょうね。
 
それにしても、地元でありながら、知らない、行ったことがないところの多さときたら、ビックリです。「灯台下暗し」とは、まさにこのことです。
 
これだけ、神社を巡ったのですから、さすがに厄は払えたはず・・・です(笑)